国会図書館から本郷

指導教官が退官されたので、大学にくることはほとんどなくなるだろうと思っていたのに案外早くその機会がやって来た。
農学部図書館の蔵書はすごい。生物系の洋書は国会図書館を凌ぐ。自治体の図書館と違って子供が宿題をしていたりもしない。
7号館にカフェが出来ていて驚く。M先生に挨拶して、研究室の学生さんの就職活動の相談に乗る。就職難はこの大学も無関係でないらしい。
1号館でN先生にご挨拶と文献調達。
今日は先もまだ長い。それに暑い。

指導教官が退官されたので、大学にくることはほとんどなくなるだろうと思っていたのに案外早くその機会がやって来た。
農学部図書館の蔵書はすごい。生物系の洋書は国会図書館を凌ぐ。自治体の図書館と違って子供が宿題をしていたりもしない。
7号館にカフェが出来ていて驚く。M先生に挨拶して、研究室の学生さんの就職活動の相談に乗る。就職難はこの大学も無関係でないらしい。
1号館でN先生にご挨拶と文献調達。
今日は先もまだ長い。それに暑い。

はじめて玉川大学に行った。緑の多い素晴らしい環境の大学。
学生がみな気持ち良く挨拶してくれる。これだけでも良い学校だとわかる。
挨拶できない大人ばかりの社会とは違うな。
環境問題にあまりに真面目に取り組み、現実との狭間で疲れてしまうこと。
なかなか良いことをいうなぁ。
必要かどうかの基準はみな違う。高度経済成長期にはだいたいみんな同じように欲しがり、同じように買っていたんじゃないだろうか。やがて必要なものが飽和に近付いて、欲しがる基準、必要とする基準が多様化してきたように思う。
かつて驚きの技術製品で生活を快適なものにした製造業者は、今や必要かどうか怪しいものまで消費者に売り込もうとしている。
利用する消費者が、それが本当に必要かどうか判断できなければ、世の中は不必要なもので溢れてしまうだろう。
そして周りを見渡せば現実にそういう世の中になっているじゃないか。
消費の理由付け、超個人レベルでの購買の基準、必要かどうかの判断能力の向上がなければ、明るい未来も持続可能な社会もありえない。そしてさらに辛いことだけれど、それだけじゃまだ足りない。
世界が複雑化して、情報量が増えて、こうなったら次はこうなるだろう、という予測が難しくなった。
僕が生まれて育って、なんとかこうして生きてきた40年間というのは、難しいことを予測できる人が勝って、そうでない人はほどほどの幸せだったり、損をしたりする時代だったように思える。
そして今、世界はビジネスの面で一番賢いと信じられてきた、先を見通すことのできる人たちですら先が見えなくなっているように思う。シンクタンクであったり、コンサルであったり、銀行であったり、証券会社や学者でも先のことは大して分からないし、予測は当てにならない。
ここからは僕の直感で根拠はあまりない話し。
世の中は、ある時点で複雑化を拒絶し、単純化への反動へと向かうのではないか。過去にもそういうことはあっただろうが、これまでにないような大きな反動が起こるかもしれない。
脱エネルギー、脱グローバリゼーション、脱情報化
馬鹿げているとも思う。人類は手にした快楽を手放すことはないだろう。家電製品を否定することもないし、海外旅行に行かなくなることもない、インターネットのような情報入手手段を手放すことも決してないだろう。それは分かっている。
しかし、ちょっといい気になりすぎていないか、「複雑化くん」
僕たちは、本当はそんな難しい世界を望んでいないんだよ。温かな家族があり、うまい食べ物が不足しない程度にあり、生きる希望や夢があり、誰かのために、何かのために自分も役に立っているんだという実感があれば十分に幸せなんだ。
自分の食べるものを自分で作り、自分の家を造り、人が生まれ死んでいくのをつぶさに見て暮らす。そういうシンプルライフをみんな本当は欲しがっているじゃないか。
誰かが言う。「人類はシンプルに生きたいと願いながら、もう何千年も都市に集まり続けてきたじゃないか。今さら、農民になろうなんて無理に決まっている」
そうだろう。僕もそう思う。でも違うんだ。ちょっと違う。僕が言おうとしているニュアンスを、どんな言葉で表現したらいいんだろうか。今の、僕にはまだ思うように語ることができない。いまはいくつかのヒント、キーワードが横たわっているだけだ。
エネルギー、人口、資源、生物、生態系、生物圏、人類、幸福、目標、祈り、非効率と効率、家族、コミュニティ、海洋、森林、淡水、情報、歴史、政策、経済、自給自足、小社会、持続可能性、





まつざわ

僕は電車通勤をしている。毎日、他のたくさんの乗客と車両に乗り込み、途中で乗り換え(3回も!)、片道一時間半をかけて移動していると、当然ながら、それはもううんざりするほどたくさんの人々を見るし、すれ違い、あるいは列を作る。実際の観察に基づく概算では、僕の場合は10m以内を通過する人だけで一日あたり約1000人になる。その1000人のうち一瞬でも目が合うのはごく一部で、だいたい30人くらいだろうか。話をする人となると限りなくゼロに近くなる。
それでもこんなにたくさんの人とすれ違っているのだから、もっと知り合いに出会っても良さそうなものだが、なかなかそんな事態にはならない。同僚以外の知人(会社の最寄り駅では当然ながら顔見知りの社員が多い)に気付いたり、話しかけたりするのは一ヶ月月に1、2回くらいなものだろう。
さて、この数値が果たして多いのか少ないのか。他人と比べてどうかというというのではなく、純粋な確率統計上の問題としてどうなんだろう。
CBCニュースによると、カナダ北部の北極海に面したバンクス島では、ホッキョクグマとグリズリー(ハイイログマ)の交雑個体の目撃例が増えているらしい。
写真には、捕獲したクマと猟師が写っていて、一見するとホッキョクグマなのだが、手や目の周りが薄茶色になっていて確かに二種の中間的な特徴がある。
ホッキョクグマpolar bear とグリズリーgrizzlyの雑種なのでグローラー・ベアgrolar bearと呼ばれているようだ。
DNA解析によって、メスのホッキョクグマとオスのグリズリーの交雑であることが確かめられた。
ケヤキの枝先の巣がよく見える。桜が満開。
巣が見えにくくなってきた。
5月8日
もう、巣はほとんど見えない。
4月のはじめに見つけたハシブトガラスの巣は丸見えだった。それが一ヶ月も経たないうちに新緑ですっかり見えなくなったのだから驚く。
もちろんカラスはこうなることが初めから分かっていて、この場所にこの時期に巣を構えたわけだ。
ここであなたは思うかもしれない。目立つのが嫌なら、最初から葉が茂ってから巣を作ればいいじゃないかと。
実はカラスは子育てのために最適な時期をちゃんと選んでいる。決して巣で花見がしたくて巣作りを始めたのではない。カラスが一番気にしたのは、これから生まれ来る子供たちの食べ盛りの時期なのだ。この時期に餌が一番採れるタイミングをぶつけているのだからさらに驚く。
そればかりではない。卵の数だって周囲で集められる餌の量や親鳥の能力に合わせて調整している。稼ぎが少ないのに子供の数ばかり多くては元気な子供が育たない。厳しい自然環境の中では、弱い子供をたくさん育てるよりも、強い子供を確実に少数育てる方が、結局は次世代に伝わる子供の数が多くなることが良くあるのである。
さながら人間で言えば、子供たちの食費や教育費がもっともかさむ高校生から大学生にかけての時期に、給料の支給額が一番高くなりそうな時期になるように逆算して家族計画を立てるようなものだ。万事に渡って無計画な自分とはずいぶん違うものである。野鳥の巣作りといってもなかなか奥深いではないか。
生物多様性の議論でここ数年注目されているのが、「生態系と生物多様性の経済学」通称TEEB(ティーブ)だ。
自然からもたらされる恩恵は膨大だけれども、その価値の大きさのうち、経済的に評価されているのはほんの一部に過ぎない。現在はもっと経済的に測定できる範囲が広くなっているので、できるだけそれを測定してみよう、というのが主要なメッセージの一つになっている。
TEEBの報告書の全体は膨大で、一般の人はとても読む気になれない。僕はがんばってほとんど読んだけれど、それにはものすごく大変な労力が必要だった。それで環境省が一般の人に紹介しようと作成したのが、普及啓発用のパンフレットで、それが先日HPで公開された。僅か10ページ程度のパンフレットだけれども、これを読めばTEEBの全容がほぼ分かるようになっている。
環境経済学の専門家ではなく、環境に興味を持っている一般の会社員、主婦、教員、大学生、環境問題に興味のある人々なんかに向いていると思う。
11ページにある水道の蛇口をひねる美しい女性の手に見覚えがあるような気がするのが不思議だ。


MJの子供の日のプレゼントリクエストはLEGO。
もうこれ位の難易度のものはほとんど自力で作れるようになった。
ヒカリエのShinQs(シンクス)の入っている地下3階から地上5階までの女性用パウダールームは『スイッチルーム』といって、広さといい設備といい、高級ホテルの化粧室のようなゴージャスなつくりらしい。
「トイレは文化の鏡である」と考える僕としては、是非確認したい。しかし、さすがに女性用のスペースは確認できない。それに確認するまでもなく、いろいろなレポートが出回っているのでその必要もない。それならば男性用は男性用はどうだろうか?

地下3階のスイッチ・ルームの入り口。男女共用である。
間取り図をみると、男性用と女性用はまるでスペースが違う。女性用スペースは男性用の4~5倍くらいはありそうだ。
朝、渋谷駅で東横線に乗りこんで吊革に掴まった瞬間に、前に座っている女性の鞄から本と書類が僕の足に落ちてきた。
昼間に会社で椅子に座っていると、誰かが置きっぱなしに積んであった重たい図鑑がずるりと僕の座席の足元に落ちてきた。
よく本が落ちる日だ。
普段は本が落ちてくることくらいなんとも思わないが、帰りの電車を待っているときに隣に座っていた女性が手に持っていた本を落としたのを見てだんだん恐ろしくなってきた。
今日は図書館にも神保町の古本屋街にも寄らずに帰ろうと思う。

再び歩き出す。

黒くて立てに直線的な裂け目のある樹皮は、クヌギ。

萌黄色の美しいケヤキ

エゴノキの葉には早くも木漏れ日が差し込む。
そしてコナラ、イヌシデ。こうした樹種が武蔵野の雑木林を構成している。
新緑がきれいだから、玉川上水を散歩しようとワイフが言い出した。それは良い考えだ。
玉川上水は武蔵野台地を流れる用水路。かつては江戸市中300万人の水道水源になっていた。そして武蔵野といえば、国木田独歩である。独歩の『武蔵野』に、こんな記載がある。
「自分はある友と市中の 寓居 真直 掛茶屋
独歩は三崎町にある停車場から出発して、玉川上水の桜橋の辺りまで出かけている。それならば僕たちもそうしよう。三崎町にある停車場とは水道橋駅のこと。

水道橋駅まで歩いて、総武線に乗る。


横浜市内の港北ニュータウンにあるとあるマンションの脇でニホントカゲ(雌の成体)を捕まえた。

手に取るとこんな感じ。かわいい。

尾には再生した跡が残っている。


落ち葉といえば「秋」、というのが決まりと思ってはいけない。
この時期、街路の常緑樹の下にはたくさんの落ち葉がある。

これはクスノキ。「となりのトトロ」で出てきた大木はこの樹が大きくなったやつだ。

木の根元には落ち葉が目立つ。一般に、常緑樹広葉樹といわれる木々は、春先に新しい葉が出てくると、その前に出た古い葉を落とす。だからこの時期は落葉の時期ということになる。

この玩具の名前を忘れてしまったけれども、なんとも懐かしい。



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