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2009年3月 1日 (日)

靴墨に涙する

ふと、靴を磨きたくなった。靴墨を使ってしっかりと磨きたくなった。
久しぶりにシュークリーン用の箱を取り出し瓶を開けると、僕の手は止まり、しばらく肩を揺らして静かに泣いた。

そこにあった懐かしい黒と栗色の靴墨の瓶は、買ってからどれくらいの時間が経っているだろうか。独身時代は、寝付けない夜にウィスキーを飲みながら靴を磨くというのが、いつものパターンだった。癖といってもいい。
しかし、結婚し子供ができると寝られない夜が減り、例え寝付けない夜であっても靴を磨くことはしなくなっていた。ひょっとして、すべからく世の既婚男性は、結婚する前に比べ結婚した後、靴を磨く回数が減るのではないか、と密かに僕は思っているのだが実際の所はどうであろうか。それは単に時間がないとか、疲れてしまうということではなく、何か特別な、神秘的な意味があるようにも思われる。たとえば、異性と長時間一緒に過ごす行為が靴を磨くという神経回路を選択的に破壊するとか。
僕が家族全員が寝ている日曜日の夜更けに、一人廊下で涙した訳は何か。それは、しばらく使うことのなかった靴墨がだいぶ減っていたからだ。
我が家には僕以外に靴墨を使う人は一人しかいない。深夜にこっそり僕の靴を磨く小人や妖精はたぶんいない(僕はそういう類のを見つけるのが得意方だから、居ればきっと分かる)。ワイフは僕が気まぐれに靴を磨きたいと言い出したとき何も言わなかったが、その時彼女は何を思っていたのだろう。
この靴墨が減ったのは、ワイフが僕のいないときにせっせと靴を磨いてくれたために違いない。僕が綺麗になっていることに気付かずに毎日普通に履いている靴。帰ってくればぞんざいに脱ぎ捨てている靴。その靴を彼女は日々手入れし、僕が気持ちよく使えるようにしてくれている。その時間、その手間、その愛情に僕は涙した。いつもいつも本当にありがとう。

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