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2012年7月21日 (土)

過剰な謝罪アナウンスは違和感あり

25年前の1987年に、国鉄がJRになって一番変わったことは何んだっただろうか。利便性が良くなったり、値上げが少なくなったり、いろいろあるだろうけれど、当時中学生だった僕にとって一番劇的だったのは、社員が偉そうにしなくなったということだった。それまで国鉄に乗ると駅員がやたらに威張って嫌だった、そんな経験を持っている人は少なくないのではなかろうか。


同じように威張り散らしているという印象が強い職種に、バスの運転手というのがある。理由はよくわからないけど、バスの運転手もやたらに威張り散らしていて、支払機だか両替機だかしらないが、使い方が会社によって違うから、利用する人にとっては分かりづらくて文句の一つも言いたいところなのに、出入り口で戸惑っている乗客に罵声を浴びせるという光景をよく見た。そういう威張り散らし系のバス運転手も最近はだいぶ減ったように思う。個人的には、6年くらい前に伊豆東海バスで不愉快な経験をしたのが最後だろうか。

日本の電車の運行スケジュールの正確さは今更言うまでもない。電車に限らず公共交通は事実上、ほぼ時間通りだ。先進国を含めこんなに正確な国はない、と多くの人が口をそろえて言う。しかし、そこには「正確ですごい」というニュアンスと同時に、「そんなに正確である必要なんてないんじゃないか」という皮肉が込められている場合があるように思う。

日本以外のほとんどの国が交通機関の正確なダイヤに関心が薄いように思うのは、運行時間は自分が頑張ってもどうしようもないことであり、いわば遅れてしまうのは自分のせいじゃない、と考えているからではないだろうか。これに対し、私たち日本人は、そして公共交通期間を運営している会社の従業員は、時刻通りの運行は運行会社に課せられた義務だと受け取っているように思われる。

僕自身は、何年か前までは、電車なんて多少遅れたって良いじゃないかと思っていたし、今だって別にすこしくらい遅れても良いと思っているけれども、それ以上に「正確な運行にこだわる」のも悪くないな、と思うようになった。なぜなら、多様化する世界の中で生き残って行くには、他の国が持っていない個性、それも他のみんなが無理だとあきらめていることにこだわって達成している個性というのが、大きな武器になるからだ。

かつて世界一を誇った国際競争力は今や、20番代後半にまで低下し、日本の将来を悲観視する人も多い。しかし、世界一正確なダイヤで電車や飛行機を運行させられる国民性、広い国土(日本の国土は決して狭くない)、豊富な天然資源(木材、漁業資源はとても多い)、1億を超える人口(世界10位)といった条件は、この国が決して不利な条件に無いことを強く示している。これらがあれば、日本は自立して生き残ることが出来る。他の国に負けない国力を作ることが出来るはずだ。だから、僕は日本の将来を悲観的に見ていない。間違いなく苦しいが、その向こうには明るい未来がある。話を本題に戻そう。電車の運行のことだ。

僕は電車通勤で、出張も月に数度はあるので電車に乗ることが多い。接客対応が良くなったのは大いに結構なのだが、最近気になるのが、不必要とも思える謝罪の連呼である。いつの頃からか、運行の遅れに対して、車内や構内アナウンスで謝罪するようななった。「ただいま10分ほど遅れて運行しております。お急ぎの所、誠に申し訳ございません」というように。そしてそれがエスカレートしているように思う。

電車が遅れて駅員に詰め寄る乗客なら何度も見たことがあるし、殴る蹴るの暴行まで加えられる職員も多いらしい。まったく困った乗客である。

心理学では一般に、怒っている人間には、謝罪するのがもっとも効果があるというのが常識らしい。「ごめんなさい」というだけで、怒っている方は気持ちが落ち着いて、殴られなくなるのであれば、社員の安全確保のためにいくらでもアナウンスしようじゃないか、ということなのかもしれない。しかし、この謝罪も度を超えると不愉快に感じる。3分に1回も謝罪する必要が本当にあるのだろうか。悪いと思ったら謝ればいいし、謝る必要が無いときは、同情はしても謝罪する必要はないのではないかと思う。

運転手の居眠りや整備不良による事故といった、運行会社の責任の範囲に由来することならまだしも、大雪や急病人の介護や飛び込み自殺といった不可抗力によって、最善の努力にもかかわらずダイヤが遅れてしまった場合、運行会社は悪くないじやないか。急な点検で不良箇所が見つかったお陰で大事故にならなかったかもしれないのに、それでも会社が悪いといえるだろうか。少なくとも現在は、そういう場合であっても鉄道会社は平謝りを続けている。

僕自身のわずかな経験でも、そして経験豊富な知人に聞いても、こういう場合、日本以外のどの国でも運行会社が謝罪することはない。別に外国に倣えと言いたいわけではなくて僕が言いたいことは次の二つだ。

謝らない国との喧嘩に負けないようにしよう!

議論の場では謝ったら負け、というのが常識である。特に国際会議などの議論の場では、「不在」と「謝罪」は議論をかなり不利にする。だから、こういう場では、うかつに謝罪してはいけない。謝罪は自分の日を認めたことであり、相手の主張の正しさに屈したということを(少なくともこの種の議論の場では)意味する。

やたらとすぐに謝る日本人の謝罪体質のまま、国際競争の場に出てしまうとしばしば大変不利な状況に追い込まれてしまう。だから、相手の気持ちを察しつつ、不必要に謝ってしまわないように気を付けるべきだろう。

念のために言い添えておくと、家庭内では言い争いがあった場合、男性が謝るのが大原則。実は、女性にとっては議論の内容の正しさは余り意味がない。夫と妻は、言い負かす相手ではなく、共通の課題を乗り越えていくためのパートナーなのだから、意見の食い違いがある時には、男性はとりあえず「君のいう通りだね」と言っておいて、あとは自分の好きなように上手にやっていけばいいのだ。


不可抗力による遅れの場合は、謝罪ではなく、同情と最善を尽くしていることを伝えるのが良い!

自然災害や鉄道会社の過失ではない原因によって遅れるときは、原因を伝え、運行会社として最善の努力をしていることを伝える。そして、遅延の巻き添えになった乗客には同情し、最大限の手助けを惜しまない、という姿勢を示すのが良いのではないだろうか。具体的にはこんな感じだ。

(現在)

新宿駅で起きました人身事故の影響で、ただいま中央線は運転を見合わせております。ご乗車のお客様には大変ご迷惑をおかけしております。大変に申し訳ございません。」

(改善案)

新宿駅で線路内にお客様が立ち入った事により発生した人身事故の影響で、ただいま中央線は運転を見合わせております。現在、警察による現場検証が行われており、JR東日本も協力をしております。現場検証が終わり、安全が確認でき次第、運行を再開できるよう、最大限の努力をしておりますが、再開までの見込みはたっていない状況でございます。ご乗車のお客様にはご不便をおかけしておりますが、今しばらくお待ちください。なお、新宿方面にお急ぎの方は、向かい側の総武線、または地下鉄線丸ノ内線、500mほどお歩きになり都営新宿線をご利用になられる方法もございます。


運行会社の職員に暴力を振るう乗客はもってのほかである。飛行機内では、暴れる乗客に対して、ロープで縛って拘束するなどの行為が許されている。職員や他の乗客の安全を確保するためにも、平謝りを続けるのではなく、運行会社の権限を強化することで対応するべきだ。

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