フォト
無料ブログはココログ

2006年5月新婚旅行

  • 帰宅
    だいぶ遅れてしまったけれど、ハワイイ・カウアイ島へ新婚旅行。

アクセス調査

  • google analytics test

« バンジョーをひく男 | トップページ | 長い、長い夜の、はじまりの断想 »

2016年12月21日 (水)

柳宗悦の民藝と民芸

柳宗悦の民藝と民芸
東京大学の名誉教授・松井建氏による、柳宗悦(やなぎむねよし/そうえつ)に関する講演を聞いた。

現在、一般に認識されている民芸という概念は、本来、柳宗悦が説きたかった民藝とは違っているのではないかとの考察から、敢えて民芸(一般認識)と民藝(柳の言いたかったこと)とを区別して話が進んだ。

民藝品だから美しいのではなく、美しいものをいろいろ集めてみたらば、その中にはそれまで美しさを認知されていなかった一連のグループがあり、それを民衆的工芸品、すなわち民藝と捉え、美しさをとらえる概念の中に加えた、というのは納得のいく説明だった。

また、「美とは何か」という定義からはじまる西洋的な捉え方ではなく、個別の品の中にある美しさを吟味し、いわば帰納的に美の世界を説明しようとする捉え方が、柳的であり、東洋的であるという説明にも納得できた。

だから、「民芸品は無名でなくてはならない。実用的で、量産されていなくてはならない」といった「民芸の定義」にこだわるやり方は、「新幹線は民芸品か」を議論するようなちぐはぐな方向に向かってしまいがちでやめた方が良い、と松井先生がおっしゃったところまでは付いていけた。

そこからが、いまの僕には良く分からなかったし、価値観として相容れないものがあるように感じた。

柳自身が「美しいものを感じられるかどうかは、天賦の才能で決まり、あとからではどうにもできない」という趣旨のことを言っている。しかし、そういわれた瞬間に、世界はずっと狭くなってしまうのではないか。分かる者だけわかれば良い、分からん奴は放っておけ的な、粗野な切り捨て論になり、結局、柳が説こうとした世界を、ごくわずかな限られたものだけに理解し得る特別な世界に閉じ込めてしまうのではないだろうか。それは柳宗悦の本意だろうか。

また、「美を意識して作ったものの中には、民藝的な美はない」という柳の考え方も、民藝品は美しさを理解できない愚かな者にしか作り得ないという、いびつな結論に至りはしないか。美の世界は本来もっと普遍的で普通のこと、民衆に近いところにもあるのではないのだろうか。”民衆的”工芸品の中にある美を、「特別な」才能を持った人しか解り得ないと言い切ってしまう傲慢さが透けて見えるような気がする。

とはいえ民藝も民芸も、私はまだ学び始めたばかり。今にいきる私たちにどんな意味があるか、これから考えていきたい。

« バンジョーをひく男 | トップページ | 長い、長い夜の、はじまりの断想 »

1.自分のこと(生き方)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/170867/64655084

この記事へのトラックバック一覧です: 柳宗悦の民藝と民芸:

« バンジョーをひく男 | トップページ | 長い、長い夜の、はじまりの断想 »