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2017年2月 3日 (金)

蛙の井戸端会議

井戸の中の蛙は外の世界を知らないから、限られた狭い見識にしばられて広い世界で起きていることを理解できない。

確かにそうだ。そして、井戸の外にいる人は、その事を嘆き、或いは蛙を非難にする。

しかし、井戸の中のことは、結局、蛙が一番よく知っているんじゃないか、といもいえる。井戸の中で起きていることを肌では知らない外の蛙が、外に漏れ出た話から中の様子を想像し、まるで神の目線で正しい認識をしているような気になっている、ということだってあるだろう。

井戸の中の様子を教えてくれる者の話は貴重でありがたいのだけれども、土産話には尾ひれがつきものだ。ましてインターネットの世界で拾うことができる情報は、相当に怪しいものが多い。まさに玉石混淆。

井戸の中の様子を知ることができる者は限られる。外へ出てくるオフィシャルな情報は、井戸の中の者たちのバイアスがかかっているから、そのまま受け止めるのは危険な場合もあるかもしれない。

外にいる蛙には井戸の中のことについて、伝聞情報を基本的には信じるしかない。きれいでおいしい水が出ているうちは、井戸の中を信じることができる。井戸の中から聞こえる声も、井戸の中の様子を伝える声もそんなに大きな違いがない分には困らない。「内部は健全に機能している」と信じられる。

ところがある日、中からの一匹の見知らぬ蛙が出てきて、「中は酷いところ!綺麗な水だなんて大嘘で、実は毒水入りなんだから、もう揉むのは止めた方が良い」なんてといいふらす。と同時に、井戸の中からも声が聞こえる。「そいつの言っていることは全部デマカセだ!信じちゃいけない。」と。

善良な蛙たちは悩み、蛙村の村長に相談する。その見識と英断に頼るしかない。村長は「井戸の中の言葉を信じよう」という。蛙たちは少し安心して、水を飲み、井戸から出てきてみんなを驚かせた蛙の事を忘れ去る。

また別の日、井戸の中からこないだと違う蛙が出てきて、井戸の中の事をみんなに話す。そいつはちょっと知っている奴かもしれない。

「俺は見てき来た。みんな知らないだろうが、中はひどいところだ。 実は井戸は地下で川と繋がっていて、川の水と同じなんだ」と。前の蛙と少し違うことを話しているみたいだが、、また同時に井戸の中からまた声がする。「そいつの言っていることはデマカセだ。信じちゃいけない。」と。

また蛙たちは不安になって村長に聴きに行く。村長は今度は冷や汗をかいている。困った顔をしながらも、「井戸の中の言葉を信じよう」という。

こういうことが何回か続くうちに、蛙たちの心の中に不安がたまっていく。

それでも井戸に近い蛙はまだ良い。井戸の中からの声も、井戸から出てきた蛙の声も、直接聞くことができるから。かわいそうなのは井戸から離れたところにすむ蛙だ。その不安は、きっともっとじっと大きくて、なんとも気の毒だ。インターネットで伝え聞くことしかしれないとしたら、何を信じたら良いのか。

結局、信頼できる者のいうことや自分の判断を信じるかないのだと思う。大切な家族や自分自信のためにも誤った判断は絶対にしたくない。

幸いにして、僕には井戸の中と外を出入りしている友人が何人かいる。どの程度まで、深いところを知っているのかは分からないが、少なくとも僕よりは詳しそうだ。その蛙が十分に賢くて、間違った判断をしない者だと信じるかどうかがとても大きな分岐点になる。自分の判断力に自信がなければ、もう、こうするしかない。

しかし、さらに大事なことは、自分で判断できることなのだ。自分が賢くなる、一匹一匹が個体レベルで賢くなることが、なによりも大事なんだ。

いま、僕たちは結構難しいところに立たされている。遠くで悲痛な蛙の声もする。

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